倉山満『皇室論』。 明らかな事実誤認、支離滅裂、意味不明が多すぎる。 少し間があいてしまったけれど、今回はその6回目。 【過去のブログはこちら】 倉山満『皇室論』のトンデモ言説を深掘りする【1】 倉山満『皇室論』のトンデモ言説を深掘りする【2】 倉山満『皇室論』のトンデモ言説を深掘りする【3】 倉山満『皇室論』のトンデモ言説を深掘りする【4】 倉山満『皇室論』のトンデモ言説を深掘りする【5】 女系とか直系という言葉を厳密に使わない、 読者を煙に巻いてとにかく「男系継承が先例」と 言い続けたい倉山は、思い込み・曲解が激しすぎる。 第一章補講の系図5では、第34代舒明天皇〜第50代桓武天皇を 取り上げている。 ここでの解説がすごい。 天武朝の中で、天武天皇〜草壁皇子〜文武天皇〜聖武天皇の 系統を直系にすべく、皇位継承が図られる。 跡継ぎとしたい皇子が幼少の際、女帝(持統、元明、元正)が 立てられる。 出た!「女帝=中継ぎ」説。 男系原理史観では、女は男のつなぎ程度の意味しか持たない。 これを男尊女卑と言わずして何と言う。 持統天皇は極めて高い能力を持つ、天武天皇の重要なパートナーだった。 息子の草壁を天皇にしたかったが若くして亡くなり、 自身が天皇として立ち、のち孫の文武天皇に譲って 自分は太上天皇となった。文武天皇は15歳。まだまだ若い。 経験豊富な持統天皇が重しとなり、睨みをきかせた。 これが単なる「中継ぎ」か?? というか、単なる中継ぎとしての意味しかないのなら、 後見として太上天皇になったことの説明がつかないけど、 そこは都合良くスルーなんですかね? そして「天武天皇〜聖武天皇の系統を直系にすべく 皇位継承が図られる」という一文も日本語としておかしい。 結果として聖武天皇まで直系でつながった、という話では? しかも、なぜその系統に草壁皇子が入っている??? なぜ元明天皇を無視する?? この時代を紐解いてみれば、試行錯誤しながら 皇位を継承しようとしていた、と見るのが常識的だろう。 そのように見ることができないトンデモ脳の倉山は、 あろうことか文武天皇の子である聖武天皇を批判する。 阿倍内親王(後の孝謙天皇。重祚して称徳天皇)を皇太子として 立てたのは、聖武天皇の重大な先例違反である。 聖武天皇は先例やぶりの「常習犯」であり・・・・・・云々。 えええッ。 なんでアナタが聖武天皇を断罪するの!? 先例違反といちゃもんつける前に、 安倍が皇太子となった事情に目を向けたらいかが。 これこそ、「双系」的な社会であった証しなのだから。 歴史が自分の思い描いた通りになっていないからと言って 「先例違反だ!」と決めつけるのは、 歴史に携わる者にあってはならない態度である。 普通、史実がそうであるならば、自分の見立てが 間違っていないかをまず検討するものだけどね。 挙げ句、お得意の道鏡事件を出してきて、 こう結論している。 以後九百年間、女帝は禁止される。 (中略) 多くの危機があったが、皇位の男系継承は守られた。 「女帝が禁止」されていたのなら、それを示す文献ぐらい 出しなさい。そうでないなら単なる思い込み。 「皇位の男系継承は守られた」というのも、 男系継承が前提でないのだから、日本語がおかしい (他の時代もこの調子だから目まいがする)。 そして何度もいうけど、この時代、「皇位」は 男系で継承されていませんから。 倉山は「皇族」の意味がわかっていない。 そればかりか、「皇位」の意味も理解できていない。 浅はかすぎる。
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